購入後は、露風の歩みを紹介する観光拠点などに活用する方針だという。
露風は、同市龍野町上霞城のこの家で五歳まで過ごし、その後は、両親の離婚で母が鳥取の実家に帰り、父とともに近くの祖父宅で暮らした。
ちなみに「赤とんぼ」の歌詞は、母の帰りを待ちわびた切ない気持ちをつづったと言われている。
生家の建築年は不明で、露風自身も一九二〇年に相続しているが、昭和になって他人に譲渡しているという。
昨年初めまで女性が一人で住んでいたが、同女性が老人ホームに入居したため、所有権を持つ女性の親族が市に買い取りを打診したのだという。
市は「童謡の里」を掲げており、観光客が多く訪れる景観形成地区にある露風の生家は、観光資源として価値があると判断し、昨年十月、買収方針を決定したのだそうだ。